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1. 施工図屋も悪くない
  ?その1

2. 施工図屋も悪く ない
  ?その2

3. 施工図屋も悪くない
  ?その3

.4. 施工図屋も悪くない
  ?その4

      
 2. 施工図屋も悪くない? その2

■新しい仕事、施工図を始める。
 それからまもなく毎日、混みあう電車に揺られて一時間、私の施工図専門外社への勤務が始まりました。施工図で急成長した会社でした。会社のシステムは、不足している施工図の書き手を大手ゼネコンに人材派遣し、その派遣した人が書いた図面の修正を、私が勤め始めた事務所で行うというものです。修正は、明確にここをこのように直してくれるように、青焼きの施工図にチェックが入っているので、そのとおりに直せば良いわけです。建築の知識がなくても出来る仕事です。

ゼネコンにも施工図を描く人間も何人かはいたのですが、これは建設不況に陥る前のことです。現場の係員も足りないくらいの頃のことなので、とても施工図を描く人間はさらに足りません。会社も、施工図を描く人間を育てる余裕もなかった頃のことです。したがって、外注に頼るしかありません。

 現場から戻ってきた図面の修正を20歳代前半あたりの若い女の子が行います。女の子を指示するのは、現場で施工図を書いていたベテランで、何人かいました。現場にでも出られる位の実力はありそうです。彼が、図面の修正内容を確認して、誰にその図面の修正を行わせるかを割り振りし、修正し終えた図面を再度チェックして現場に戻すのです。

彼の年格好から言えば、私とそう違いはありません。本来、私がここに来れば彼と同じ仕事ができねばならないはずなのに、それが叶わないばかりか、それまでの私の建築設計事務所での経験はゼロにして働かねばならない、それが辛かった。しかし、それも自らが望み、交渉して至ったわけで原因も結果も私の責任です。

 私が、一番怖かったのは、彼らに私にも同じだけの実力があると思われることでした。一応、設計の経験しかないことは、事前に伝えてあり、彼らも知っている筈でしたが、その設計のことすら実はまともに知らないのですから、どんな質問を受けるかわかりません。いつも、ヒヤヒヤしながら、若い女の子の中に混じって懸命に図面の修正を行いました。女の子からすれば、私はすでに十分な「おっちゃん」です。話しかけることも、話しかけられることもなく寂しい毎日が続きました。



■若い女の子の集まっていた理由
 どうして若い女の子達がこんな単純作業のような仕事を求めてやってくるのか?
その理由はすぐにわかりました。会社が、2年だったか3年だったか忘れましたが、ハワイ旅行に会社の慰安旅行先として行けることが魅力だったようです。本人も少額を積立る必要があったのですが、会社の補助も大きく、なかなか個人では行けない海外旅行が会社の慰安旅行というのですから、人気が出るのも当然でした。私が通い始めてからも一度、現場に出てからも一度その機会がありました。しかし、とても参加する気にはなれず、会社に残ってひたすら図面の修正を続けておりました。

 もともと、彼女たちの給料は安く会社としては十分に採算の合う話だったのでしょう。
夕方、5時になると彼女たちは、仕事がどんなに詰まっていてもさっさと帰って行きます。残業する子もいましたが、それでもせいぜい1時間です。

 その後は、私や図面を取りまとめる私と年齢の変わらない男たちが、8時ころまで行う日々でした。



■施工図会社での給料
 私の給料は月17万円、残業代は時間にして500円でした。もちろん福利厚生はありました。しかし、当時の私のような30歳代初めの男の給料としては、破格の薄給というべきもので、残業代時間給500円の根拠ですらわかりませんでした。しかし、残業代が貰えるのは、うれしかった。
なぜなら、前の設計事務所では、どんなに残業してもそれらは一切出なかったからです。

「うちは、残業代は支払えないが、みんなが頑張ってくれたら、ボーナスで答える」というものでした。しかし、そのボーナスも、、、

ともかく残業代や交通費は全額出ましたが、設計事務所の頃の生活よりずっと悪化して、1か月食っていくのがやっとでした。当然、会社の昼での食事は外食で、後は自炊しかありません。そういう生活の中、自分は本当に将来、一人前の施工図屋になって60万円貰えるようになるだろうか?ため息が出る毎日が続きました。

「うちは、残業代は支払えないが、みんなが頑張ってくれたら、ボーナスで答える」というものでした。しかし、そのボーナスも、期待できるほどではありませでした。マンションのボーナス期の支払いですべてはなくなるだけでした。

ともかく残業代や交通費は全額出ましたが、設計事務所の頃の生活よりずっと悪化して、1か月食っていくのがやっとでした。当然、会社の昼での食事は外食で、後は自炊しかありません。そういう生活の中、自分は本当に将来、一人前の施工図屋になって60万円貰えるようになるだろうか?ため息が出る毎日が続きました。


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 当時の私は、中古のマンションを買って2年ほどのことで、その毎月の支払を滞らせるわけにはいきません。食うや食わずの生活になりました。ある時は、丸いキャベツのまま、マヨネーズをかけて、動物のようにかじるのが夕飯だったことも幾度もありました。これでは、とても結婚できそうにもありません。


勤めだして、1月半が過ぎ、やっと待望の現場へ出ることが決まりました。
うれしかった。
それは、会社に入る時に面接をしてくれた人事の男性が来て、
「Yさん、希望されていた現場が決まりました。明日、面接に行きます。一度会社に出てきてもらって、それから私と一緒に行きましょう。相手は、日本でも一2を争うスーパーゼネコンです。きっと勉強になると思いますよ。」

現場に出ることを、そしてそこで施工図を描くことを望んでいた私でしたが、急に怖くなりだしました。「君は、望んでいた人ではないからやめてもらう」
とか、
「違う人と代わってもらって、君は会社に戻ってもらう」
などと言われたらどうしよう。次から次へと、不安が浮かんできて、その夜はなかなか寝付けませんでした。しかし、私は独り身ですから、今更どうなっても構わないという開き直った気持ちも心の隅にありました。そうでなければ、この世界に飛び込みはしなかったでしょう。



■現場へ
現場に出る前の日に、現場で働く上司となる人にあいさつに行くことになりました。会社の人事の人が、私をそこへ連れて行ってくれるのです。現場は、事務所からはさらに40分位離れていて、通勤はさらに遠くなりますが、仕方ありません。

まるで、昔の丁稚奉公に出る時の小僧は、こんな気分だろうとというような気持でした。見知らない、しかも何の実力もない私は不安でいっぱいでした。ですから、現場へ向かう道中で、連れて行ってくれる人事の人が、あれこれ話しかけてくれるのですが、少しも気が入りません。不安が私を圧倒していたのです。
「はあ」
とか
「そうですか」
位しか返事をしませんでした。

電車は、どんどん現場に近づいてきました。もう二駅手前からでもその現場の建物の姿が見えています。大きな建物が2棟、圧倒的な高さでそびえています。
「あれが、現場です。何百億という工事金額だそうで、職人だけでも一日に2000人はくるといいます。いろんな人がいますので、喧嘩せず仲良くして頑張ってください。何か、困ったときには事務所に電話ください。それと、週に一回は週報を送ってください。月に一回はきます」
「わかりました」

電車は、駅に到着し、私は連れて行ってくれる人事の人の背中だけ見て、ついていきました。今からでも逃げ出せないだろうか?自分から望んできたにも関わらず、そんな気持ちです。しかし、もう私には後がありません。ここでこれを放棄すれば、人生はどん詰まりでになってしまいます。もう、不安でも泣きながらでも頑張るしかありません。



■現場事務所に入る
 現場事務所は3階建てで二棟並んで立っていました。一棟がおよそ120mはあるでしょうか、私が入った応接室は中間ぐらいにあって、職員が休憩や仮眠をとる部屋でした。私の上司となる人が入ってきました。仕事が忙しいのか、不精髭をはやし、頭はボサボサで眠そうな顔をしています。眼鏡をかけた30手前の大きな体をしていました。なんだか、スーパーゼネコンの課長というのには少しも似合わない感じでしたが、優しい目をして私に対応してくれたことで、私は少し安心しました。
 その人はSと名乗り、どこから通ってくるのか、いつからくれるのか、きたらどんな仕事をするのかなどを聞いたり説明してくれたりしました。そのほか、この現場の規模や設計者、設備関係の業者、共同企業体であることなども細かく説明してくれましたが、最後に、
「来てくれるようになったら、おいおいわかることだから、この辺にしておこう」
といって、面接は終わりました。
 私を連れてきてくれた人は、
「じゃあ、Yさん、これで私は失礼します。頑張ってください」
といって、さっさと帰っていきました。S氏は工事長で、まだ30歳前でしたが、相当優秀なのか、えらそうな顔をしたほかの工事長と机を並べていました。その中で、一番若いようでした。何しろ工事長だけで、10人近くはいます。
 S工事長は、直下の主任二人にも引き合わせ紹介してくれました。この二人がこの現場の上司となります。この下で私は今後仕事をすることとなりました。
 出された仕事着を着て、私は別の場所にある施工図室に連れられていきました。その部屋には、10人位の施工図を書く人が私と同様に詰めてきており、同立場であることで、ほっとしました。さらに、その奥にも部屋があって、CAD室となっており若い女の子と主任がCADで図面を書いておりました。私の席は、事前に用意がなされておりました。

 壁際の席で、私の前にも後ろにも図面をく人がいて、今のようにCADではなく、ドラフターという製図機で図面を書いていました。主任は私を部屋の全員に紹介してくれ、私は自分の席に着きました。やれやれです。
「今日は、この設計図をみて、どんな建物なのか見てくれていたらいい。帰る時には声をかけてくれ」そういって出ていきました。

 いよいよ明日からは、仕事が本格的に始まります。どんな図面を書けと言われるのでしょうか?



■いよいよ平面詳細図(仕上図)をかくことに。
あくる日から、私は自宅から現場まで直行しました。これからは、毎日がそうです。
現場に着くと、すぐに仕事着に着かえて施工図室に入ります。いつも決められた時間にギリギリに入っていました。すでに殆どの人が来ているようでした。私は通勤時間が長くかかることから、現場の始業時間より30分遅くしてもらっていました。施工図室に入る前に、昨日面接をしてくれた、工事長とその前にいる主任に挨拶をしました。
「今日から、平面詳細図を書いてもらうから」
「わかりました。施工図室で待てば良いでしょうか」
「そうだね。そちらに、資料を持っていくから」
主任の言葉を最後に私は、施工図室へ入りました。すでに図面を書く人であふれています。
「おはようございます」というと、元気にみんなが
「おはようございます」と返してくれました。
しばらくすると、主任がやってきて、
「こちらの、打ち合わせ室でやろう」といい、そばの小さなブースで仕切られた部屋に入り、さっそく始めました。
「平面詳細図を書いてもらいたいんだ。書いたことはある?あっても、設計図のやつだろうな」
と返事を待たずにいって、
「建築設計事務所普通の平面詳細図は、現場では仕上図と言っている。仕上げの図面を書くんだから、当然だろうな。それで、見本を持ってきたから、それを見ながらやってくれ。建築設計事務所にいたんなら、大体わかると思う。仕上げは設計図の仕上げ表を見てくれればいい。ただ、打合せの度に変更になるから、打合せ記録にも目をとおしてくれ。ここに置いておくから」
「わからないところは、質問します。今は、ありません」
「そうか、よろしくな」
「はい」

図面は、ドラフターという製図器を使って書きます。もうその用意は待つ間に済ませておきました。トレーシングペーパーを張り付けたところで、困ってしまいました。見本があるものの、どの程度の細かさで書けばよいのかわかりません。また、縮尺はいくらで書けばよいのかも、あるいは大きな建物なので何分割にもして書かねばなりません。今のようにCADで書くのでしたら、その辺は全く心配がありません。線一本長く引いたからといって、途中でカットできます。縮尺を途中で変えることもできます。AutoCAD なら元々1/1で書きますから、出力時にスケールを決めればよいだけです。しかし、手書きの場合はそうはいきません。長すぎた線、間違えた線、間違った縮尺は消すしかありません。消すと図面が汚くなります。薄黒くなります。

心配になって、また主任のところに行って、縮尺と何分割にするかを聞きに行きました。そうして、元図の設計図に分割線をいれ、通り芯や間仕切り線を入れ終わったところで、もう昼です。半日で出来たことは、たったこれだけでした。打合せをした、主任が昼飯だといって誘いに来てくれました。
「どう?」
「図面ですか?」
「そう」
「いっぺん、書いてみます。自信はありませんが」
「うん。ま、慣れだかから」
「はい」
その後は、食事をそうそうに済ませました。施工図部屋に戻ると、電気は消え、椅子を並べてその上に寝ている人ばかりです。今のように携帯やスマートホンがあるわけではありません。それに、昼からの方が、午前中の倍は働く時間がありますから、寝て体を休めるのも必要です。それにしても、昼寝とは初めて経験でした。







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