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瓦は英語に訳せばTile(タイル)と出ます。タイルの意味は「覆う」
を意味します。したがって粘土で物を覆うというものが瓦であると解釈でき
ます。もっとも最近では、粘土瓦のほかにもセメント瓦、胴瓦、そのほかの
金属瓦、石瓦なども生産されていて瓦も多様です。
では、瓦と呼ばれるようになぜなったのか?
これにはいろんな説があり、どれをとっても納得させられますが、これが確
かと言うものはハッキリしていません。
1 サンスクリット語の「カバラ」が転じたもの。
2 真言密教の梵字の「かばら」から転じたとするもの。
3 甲冑の古語の「伽和羅」(かわら)から転じたとするもの。
4 素焼きの土器を「カワラケ」が残り屋根のカワラとして用いられるよ
うになったとするもの。
などです。
タイルから転じたとするならば、その発祥の地、古代メソポタミアが発祥
の地であるかも知れません。メソポタミアは石が少なくレンガが早くから生
産されていたようです。また当時の書物が粘土版に刻まれていた事から転用
されたのかもしれませんが、メソポタミアではやはりタイルの発展が有名で
す。
他に中国、インドなどの説もありますが、どれも決め手があるわけではあ
りません。
発祥の地は明確ではありませんが、現存する瓦の最古のものは中国のもの
で、今から約2800年前のものです。一枚の板が内側に反ったような瓦で、反
った面を上向きに置き、次にはそれをうつ伏せに置くという風に交互に並べ
て葺いたようです。
春秋時代(約2600年前)にはうつ伏せに置くかわらが半円形に変化して、
その後、軒部には様々な装飾も施されるようになりました。形状も半円から
軒ぶは円形へと変化しました。唐時代の瓦の影響を当時の日本が色濃く受け
ています。
日本に瓦の技術が伝わったのは、飛鳥時代でした。日本書記には「崇峻天
皇期」に朝鮮の百済から仏舎利が献上され、同時に建築技術者も渡来しまし
た。工人たちをこの建築技術指導者について技術を学ばせた。その中に木
工、金工、画工、そして瓦工がいました。当時、これらの技術を基に曽我馬
子が建立させたのが、奈良の飛鳥寺です。(写真)
その後、聖徳太子により、大阪の四天王寺、奈良の法隆寺ほか全国に46も
の寺が建立されました。したがって、飛鳥時代の瓦の様式は奈良を中心に近
畿地方に集中しています。
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飛鳥寺(法興寺)全景です。あきれるくらいに綺麗。
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