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 W-Wallet 家相


1. 家相とは

2. 家相の歴史

3. 家相のタブーとは

4. 家相の鬼門とは

5. 家相の張り欠けとは

  
      
 2. 家相の歴史

 ■ 家相は中国の風水が起源

 家相は日本独自の占い術です。中国から伝来したように思いがちなのは、その基本が中国から伝来した風水から来ているからです。従って、家相を語る時には風水についても語るということになります。家相と風水とは一対のものと考えてよいでしょう。


 奈良時代、中国から仏教とともに伝来した風水思想の中の、居宅を陽宅風水、墓地を陰宅風水とする思想があり、その陽宅風水が日本で独自に発展したものが家相であり、日本においては、「地相」と「家相」の個別の定義がありますが、総合して「家相」として用いられてきました。家相は陰陽道(おんみょうどう)という大きな思想の中の一つです。




 ■ 風水は「陰陽道」より発している
 
 「陰陽道(おんみょうどう・いんようどう)」は古代中国に発生した民間信仰で、天の動きと人の世の動きには関係があるという思想(天人相関)に立ち、万事に吉凶を天文の変化から予知し、これによってどう対処してゆくかを決めるものです。


 今から3000年とも4000年前ともいわれる歴史があるとされています。古代中国と呼ぶゆえんです。

 陰陽道の陰と陽を示す太極図。
これをモチーフとした国旗を掲げる国が日本のそばにあります。

 陰陽道の核になっているのは、中国の戦国時代に発展した、全ての物事には陰陽(いんよう)の二元的原理を立てる「陰陽説(おんみょうせつ)」と、五行(ごぎょう)という五つの概念を組み合わせることによりできています。


 五行は、全ての存在や現象を解釈することによりその意味を考えるものです。この二つの組み合わせて作られたものが「陰陽五行説」です。陰陽師(陰陽道の担い手)はそれらの考え方に基づき、天体を観測し、暦をつくり、時をはかり、各種の器具を考案して占いをしてきました。

 陰陽説と五行説については、下記に概略を載せました。




 ■ 日本における陰陽道から家相が発展

 陰陽道の最盛期といわれる平安時代中期頃から、安倍氏、賀茂氏などの陰陽寮の陰陽師により方位や月日の吉凶が記された陰陽雑書などが発刊されるようになりました。それが陰陽道の代表的な書籍とされ、地相と家相の記述がなされるようになりました。


 現代では、建造物の向きや室内設備の方位の吉凶をさまざま論じてられていますが、当時は室内設備の吉凶はなく、「井戸」、「竈(かまど)」、「厠(かわや)」の吉の記載に限られていました。平安時代から、室町時代に入ると、陰陽道は繁栄期となり、貴族社会の一つの宗教として性格を持つようになりました。


■「陰陽説」とは

 互いに相反する性質を持った二種類の「気」が互いに作用し合うことで森羅万象の様々な物事が作り出されるという説です。二種類の「気」を表す言葉を『陰』と『陽』といいます。動的−積極的である事物を「陽」、静的−消極的である事物を「陰」として分類します。

 例えば「火・夏−昼・男性」などは『陽』、「水・冬・夜・女性」などは『陰』になります。ただし、すべては陰陽の両相を含んでおり、同じものが状況によって陰から陽へ、陽から陰へと転じることもあります。季節が夏から冬へと変わっていくのは、その好い例です。

■「五行説」とは

 中国に端を発する自然哲学の思想。万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという説です。
 
 5種類の元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底に存在あるとされています。

安倍晴明(あべせいめい) 左上画像
平安時代の陰陽師(おんみょうじ)。科学の未発達な平安時代では、陰陽師であり天文博士でもあった晴明の言葉が「お告げ」として、国家の運命を占い、政治や行事の決定に欠かせない存在でした。その神秘的な能力は一般庶民にまで普及し、現在も多くの伝説が語り続かれています。



 近世から現代への家相の略歴


■室町時代

 秀吉の安土桃山時代には、陰陽師(おんみょうし)を地方へ追いやる弾圧を受けましたが、同時に政治利用もしたことから、かえって国に広がり生き延びる機会を得ることが出来ました。



■江戸時代

 江戸中期の後期頃(1780年から1810年ころ)には、家相に関する書物が多数出版され最盛期を迎えました。ここでは、その書籍が、一般庶民向けのものであったとされ、今日の日本国民への普及はここに始まったと考えられます。



■明治から戦前・戦後の時代

 明治政府の教部省により淫祠邪教(いんしじゃきょう)の類として家相も直接的に禁止されることとなり、それは、大正時代から戦前の昭和時代まで続きました。


 戦後の1960年代に建築家の清家清氏の家相に対する一定の評価や庶民のアンケートでも家相に一定の配慮をするという意見が質問の回答の2/3を占めることが報告されて復活を果たすこととなりました。そして現在に至っています。家相と風水に関する本も非常に多く出版されています。


 なお、淫祠邪教(いんしじゃきょう)とは、人の心を惑わす宗教という意味で、時の国家権力に相反するものが挙げられました。







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