| ■ 施工図を始める人へ 施工図を書く仕事は私の今の本業です。ですから、施工図を始めてかき始められる方、書き始めている方、若しくは、始めようと考えている方に、ほんの少し先輩の私から、アドバイスが出来たらいいなという思い出このページを作りました。
施工図の仕事を始めるには、実際の工事がどう行われているのかをよく知っている必要があります。従って、建築の大学や専門学校、建築の高校などで得た知識だけでは、殆ど何の役にも立たないと言っても過言ではありません。それでは、初心者は施工図など、無理なのか?
いや、そうではありません。書けるようになります。 しかし、それには、やはり、実際に工事現場に詰めて、実際の工事を見ながら、少しずつ知識や経験を積み重ねていく以外に近道はありません。建物は、プレハブや建売といったものを除けば、どれ一つとして全く同じということはありません。全てが、手作りの注文建築なのです。
従って、何かの建物を一つ頑張って、工事の現場に出て施工図を書いても、それが、次に現場で描く建物の施工図に半分も活かせれば良い方です。出来上がった建物を見て同じように見えても、工法が同じで作られたとは限りませんし、同じ工法でも同じように出来上がっているというのは見た目だけのことです。 いくつもの造り方があるわけです。従って、幾つもの現場をこなして、少しずつ会得した知識や経験が生かされてくる。そして、得られた知識からの類推や組み合わせを用いながら、更に新たに知る知識などを体得して何とか「施工図」というものがかけるようになるのです。
ですから、見習(みならい)的な修業が必要になります。この下積みは絶対に必要なものです。よく、どれ位で一人前になりますかと聞かれることがあります。そういう時私は 「一応何とか一人前になるには8-10年と考えて下さい。」 と言っています。勿論、努力次第で、多少は縮まるかも知れませんが、場数を踏むと言う作業は、年月を経ないではどうにもならないものです。ともかく、自分の力を蓄えてください。
■ 小さい設計事務所の所員では食えない。 さて、施工図を今書いている人は、どうして施工図を書く仕事を事を選んだのでしょうか。設計事務所に行きたかったけれども、条件が合わなかった、採用されなかった、募集が無かった。など、建築設計事務所に行きたかったが、断念せざるを得なかったために、少し似た仕事の施工図を描く仕事の会社に入った。その会社では設計の仕事も出来る可能性もあったので入ってみた、など色んな事情があってこの世界に入った又は入ろうとしているのでしょう。
入られた方はどんな感想をお持ちでしょうか。
私は、長らく個人の建築設計事務所に勤めていました。建築設計事務所と言っても、私と所長だけだったり、所長、次長、部長、平の社員2人という時もありました。もちろん、お茶を入れたり、掃除をしたりもこなさなければなりません。
色々事務所も変わりました。その中のいずれも私は平社員でした。また、いずれも少人数ですし、とても給料が安かった。今の大学の初任給の半分くらいだった気がします。それでも、辞める前二つの会社は、ボーナスを出してくれました。 なかなか、厳しい建築業界の中で、辞めていく人間に、よく出してくれたものだと今では感謝が先に立ちますが、当時は、それでも一番良い時で年収が300-350万円程度と厳しかったのです。結婚しても、奥さんに働いてもらわなければ生活が成り立たないぞとよく、言われました。「理解ある奥さんを貰え」と。
しかし、なかなかそういう人は現れません。みすみす苦労することが解っているのに、結婚してくれるなどというのは、余程私に魅力がなければ、有り得ない事でした。
私も20歳代も終わりに近くなっていました。なんとかしなければ、、、 焦るばかりでしたが、今更、口下手で上がり症の私が、他の仕事が出来る訳もありません。悶々とした日々は続いて行きました。
■ 設計の実力がない。 どうして、収入が上がらなかったのか?何故、設計図がもっと描かなかったのか?描くだけの知識がなかったからです。平面詳細図が描けるということは、納(おさ)りが解っていなければなりません。断面詳細図も同様です。 「描かせてくれ」と頼んだら、「描いてみな」と上司は言ってくれたと思います。 しかし、描く自信が全くありません。私が積極的に建物の構造や納まりについて知りませんでしたし、知ろうとしなかったからです。
建築確認申請の手続きの手伝いもしました。 しかし、確認申請は初めて、設計事務所に入ってからよく手伝っていたので、要領は理解していましたし、小さな個人の設計事務所がする設計の仕事の大きさでは、それ程複雑なものは殆どありません。
■ ある出会いがあった。 そういう時、最後に勤めていた設計事務所が数億の建物を設計することがありました。この規模ですと、所員5人が2-3年は他に仕事がなくても食える設計、監理料が入ります。
勿論、私も設計図としては、末端の設計手伝いをやっておりました。構造図とか建具リスト書きとかです。平面詳細図とか断面詳細図とかは、殆ど描いた記憶がありません。書けないから書かせてもらわない。描かせてもらわないから描けない。 その繰り返しで何年も居ても実力がつきませんでした。それに今と違って、CADで図面を描くということは、殆どありませんでした。みな、ドラフターという製図器で図面を描くのです。納まりがわかっており、たとえ全部解らなくてもうまく誤魔化すことが出来る人は、トレーシングペーパーに何の迷いも無くスラスラと書くことが出来ます。 それが私だと、書いては消し書いては消しで進みません。その上、図面がだんだんズズ黒くなり、図面が描けない、つまり自身のない人間が書いたものだとすぐに分かってしまうのです。それに、図面には納期がありますし、一枚の図面に何時間も何日もかかっているわけにも行きません。 私は、自分は今の事務所で一生下っ端で、図面の描けないオッサンとして、歳を取るしかないかと、殆ど絶望的になっていました。
そんなある時、私の事務所が書いた図面で入札を行い工事が決定しました。 その工事を、東証1部上場のスーパーゼネコンが請け負うことになり、業者が施工図を書く人を連れて打ち合わせにやってきました。たしか、○島建設だったと思います。施工図を書く人がこの世にいることを知ったのはその時初めてでした。私は、その人に事務所の所員として紹介されました。しかし、一通りの挨拶であって、その人にも、施工図にも何の興味もその時は湧きませんでした。
■ その時の月給の5倍が、相場だった! ところが、ある時、私の事務所の所員が全部出払ってしまって私一人の時がありました。その時、先に紹介された施工図を書く人が、描いた施工図を届けにきたことがありました。施工図は私はわからなかったので、ただ受け取るだけで後は雑談になりました。コーヒーを飲みながら、その時、私は「施工図を書く仕事は、どれくらいの給料になるのか」と聞いてみたのです。 「私は、社員ですが、外注として、個人で現場に来ている人は、60万円くらいは月に貰っているみたい ですよ」 といったのです。 「え、そんなに、、、」 返す言葉がありませんでした。 私は、その言葉に我が耳を疑いました。60万円なら私の5ヶ月分です。本当だろうか? 「施工図の図面描きってそんなに貰えるのですか?」 「ええ、一種の特殊技能みたいなもんですから。なかなか、描ける人がいないのですよ。もっともらっている人もいますよ」 「へえー」
仕事が引けてから、私は、何度もその言葉を思い返しました。60万円、、、60万円、、、もし、それだけあったら、何れ程いいだろう。その思いが、頭から離れません。 そして、私も施工図を書く人間になろう。そう決心したのは、数日後ことでした。 今の事務所に居てもうだつがあがらないまま歳をとって行くしかない。もし、今の事務所が途中で潰れてしまったら、私は露頭に迷うしかありません。その脅迫観念が私を施工図を描く人間になることを決心させたのでした。
■ 施工図屋になろうにもコネがない。 しかし、私は、施工図を一度も書いたこともなければ、チラッと見た程度のでしかありません。しかも、そのような人達との繋がりも、建設業者の繋がりもまるでありません。 どうしたものか、、、
何の設計で実力もなく、施工図はちらっと見たことしかない。業者の知り合いもない。
たとえあっても、平面詳細図ですら書けない私に、その業界へ入って行けるものだろうか?「施工図描きになるので、会社を辞めさせてください」と言って出て「やっぱり無理だったので、もう一度使ってください」と戻ることは出来ないだろ。もう30歳を超えている私が、ほかの仕事も無理なら、この設計事務所業界を、飛び込みで仕事を求めることもやっぱり出来ないだろう。では、どうしたらいいのか?
■ 施工図の世界へ目をつぶってダイビングを決心。 私は何度も何度も思案を重ねましたが、思い切るしか道はないと思いました。このまま今の事務所にいて、40歳、50歳となっても今のままでしか、有り得ないと感じました。また、事務所が将来的に存続するのかも不安でした。個人の建築設計事務所ですから、事務所の長に何かがあれば、露頭に迷うかもしれません。しかし、私は残るにも、施工図の世界に飛び込むにも、どちらにも実力が足りなかったのです。そのことが、この機になってどんなに悔やまれたことだったでしょう。
そんななかで、見ず知らずん施工図業界へ飛び込む決心をしたのは、ひとえに60万円という月収の魅力だけでした。もちろん私が、その業界に飛び込んでもすぐにはそんな大金が貰えるようになるとは思いませんでした。しかし、それは、その時の私には、夢の給料でした。どんな試練にも耐えてみせる、そう思いました。もし、それが30万円だったら、きっと思いきれなかったと思います。
会社には、施工図の世界に飛び込むことを、この時点では黙っていました。それから、色々な求人誌や新聞の広告欄を探し始めました。当時は、インターネットなどと言うものは、ありませんでしたから。大きな書店にでかけて行っては、立ち読みで探しました。そして、これはどうだろうというのを見つけました。
■ 新聞広告で施工図の仕事を見つける 見つけたのは、私の住む市から遠く離れた大阪市に施工図の初心者を募集しておりました。私の歳ではギリギリだったのですが、現場に出て図面を書く事を希望する人が少ないなかで、私は歳は食っているが、給料は新人と同じで良いので雇ってほしいといい、また、是非現場にも出させて欲しいとも希望を出しました。これを好感して、雇ってもらえました。 面接には、私よりいくらか若い庶務の課長がでて対応してくれました。その時、事務所を雰囲気をみせてくれました。若い女性が殆どで、彼女らは現場に出ている会社の施工図描きが書いた図面の訂正をしているとのことでした。 おしゃべりしながらの気楽そうな仕事ぶりに、入ったら早く現場に出て実力をつけたいののだと思っていると、 「とりあえず、来週から来てもらって、現場が決まるまでこちらで、彼女らがやっているみたいに図面訂正を手伝っていてください」 「わかりました」 私は、仕事が見つかった安堵とこれから先の不安が一杯で、一人住まいのアパートに戻ると崩れるように布団に入りました。退社してから10ほどのことでした。
■ 設計事務所の同僚が先に退社。 退社する設計事務所には私と同じもう一人の平社員のF君がいました。私と同じ平社員の彼には、内緒で私が退社することを話しました。F君は理解してくれたのですが、自分が一人残されることを危惧して、私が会社に言い出すより先に辞表を出してしまいました。F君は、事務所に退職願を出してから私に報告もし、次の勤め先も教えてくれました。どうやら、私が彼に私の退職を打ち明けてすぐに彼も、退職を決心したようでした。私は虚を突かれてしまい面食らいましたが、時間の猶予はもうありません。私は、その後2週間ご程度で会社に申し出ました。 F君は、大手の立体駐車場の会社に行くようでした。それ以来、一度あったきりです。
事務所からは慰留されたのですが、私はきっぱりと断りました。どんな慰留があっても、私の給料が将来的に伸びていくとはならないと思ったからです。
それから、まもなく、電車で小一時間揺られて勤めに出るようになりました。手持ちのお金も、貯金もほとんどなかったからです。
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