| サッシが輸入されたのは、明治のはじめころです。日本でサッシが作られたのは大正2年で田島という人の作でスチールサッシでした。
昭和5年、建築家村野藤吾氏が東京日本橋の「森五ビル」ビルにアルミサッシを使い、これも前出の田島氏の製作によるものでした。当時としては、建築業界にとっては画期的な出来事であった筈ですが、その後も大きな動きもありませんでした。あまりに画期的であったため、当時の建築関係者が、正当の評価が出来なかったのかも知れません。
森五ビルは、築後60周年の平成4年に全面改修されました。耐震性なども付加され、生まれ変わりましたが、建築当時の面影を消すことなく、現存しています。現在では、「近三ビル」の名称で親しまれています。
| 戦後に移り、昭和27年、建築家前川国男氏により、東京呉服橋に日本相互銀行に採用され、現在のアルミサッシの第一号となりました。製作も田島氏によるものでした。
アメリカのアルミサッシの普及の刺激を受け、昭和33年ころから現在の不二サッシの前身のアメリカ社により生産を開始したのを機に、日本でも本格的な普及時代に突入することとなりました。
サッシはサッシ枠と障子から成り立っています。これは、日本の建具の歴史には殆ど見られない形式です。古来から、日本では窓、戸には枠はありませんでした。 ただし、法隆寺に当時、唐から輸入した枠つきの出入り口戸が一部に使われいたようですが、それ以外には例がありません。 | 森五ビル(現、近三ビル) |
枠がないとはどういうことでしょうか。日本の建物は構造的に架構式で成り立っています。したがって、日本の窓や戸は柱と梁との間にある可動な壁という概念であったからといえます。
これに対して、西欧では、建物が丸太とか石などの積みあげ式(組石造)の建物であったため、採光や排煙のためには明確に開口をつけ、そこに窓や戸をはめ込むという考え方から発展してきました。積み上げ式の壁などにはどうしても枠がないと建具が収まりません。
こうした窓や戸の日本での考え方は、そのまま現在でも名残が残っており、建具は取替えを前提にしている欧米とは逆に建物と一連托生的なところがあります。
出典:森五ビル画像は三幸エステート(鰍ノよりました。
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