| 他人の顔は見る事が出来るのに、自分の顔だけは見る事が出来ない。しかし、自分がどんな顔をしているのか見て見たい、と古くから誰でも思ったであろうことは、想像に難くありません。現在にあっては鏡そのものでなくても、はっきりは見えないものの、夜の窓ガラスやピカピカの食器類を見れば、自分の顔を見ることはそう困難ではありません。
では古代の人はどうして自分を見る事が出来たのでしょうか。まず、考えられるのは、水に映った自分の姿かたちであったはずです。人はその時、随分驚いただろうと思われます。イソップ童話にも、それは現れています。咥えた肉のまま、水を覗き込んだ時、水に映った自分の顔に吠えたために、肉を水の中に落としてしまったという話です。
それからまもなく、矛や盾が造られる時代までに、もう鏡はありました。石や金属を磨いて鏡としていたのです。時を選ばず、自分の顔をみたい欲求は相当強かったのでしょう。
現存する金属鏡で最も古いものは、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)の鏡があります。金属種は、銅を主体とした合金で銅鏡と呼ばれています。現在の手鏡によく似た形をしています。
日本に銅鏡が伝わったのは紀元前後で、中国より持ち込まれたと言われています。日本が自分の国で鏡を作りだしたのは3〜4世紀の頃からです。最初は中国の物まねでしたが、日本人の好みに合わせるようになり、奈良時代になると鏡を作る技術も進歩して、中国(唐)製のものに負けない位になりました。
最初にガラスを用いた鏡が造られるようになったのは、イタリアのベニスのガラス工によるものでした。1317年のことであったとされています。これは、ガラスに皺のない錫箔(すずはく)をおき、その上に、水銀を放置して1カ月ほどすると、水銀アマルガム( 水銀と他の錫との合金)として密着させ、残りの水銀を洗い落とすと言う手間のかかる手法でした。
1835年にドイツのフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなる、硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を沈着させる方法(銀鏡反応)を開発し、以来製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続けてきました。
今日では鏡は、工場生産で大量生産もされ、光沢の保護のための塗料や金属めっきにも改良が及び、耐久性のある鏡が生産されています。しかし、ガラスの裏面を銀めっきした鏡である点は19世紀以来、変っていません。
| 日本最古の鏡とされる「三角縁銘帯四神四獣鏡 」古墳時代のもので、文様は中国の 漢・三国・六朝の鏡をまねたものとされています。 |
|
|
|