| 前ページに載せた日本最古の鏡とされる「三角縁銘帯四神四獣鏡 」のような金属鏡は現在では、博物館や大きな神社でしか見かけることはありません。金属鏡は、主に銅で造られています。
なぜ銅なのかといえば、銅は柔らかく鉄に比べて加工がし易いからです。「三角縁銘帯四神四獣鏡 」のような鏡は、その時代に広く普及していたわけではありませんでした。神聖なもの、ものの真の姿を映す霊力を持ったもので、稀な存在であったとされています。
■ 現在の魔鏡の制作
この銅鏡を現在でも製造されていることは、あまり知られていません。京都市にある山本合金製作所です。
| 左図はその山本合金製作所が作ったものです。製作方法も、古来からの伝統を受け継ぐもので手間と時間を掛けて作られています。
作られた銅鏡は、市販もされていますが、神社からの注文が主であるようです。
また、既に神社に奉納されている銅鏡も長い歳月を経ると錆(さび)が出て来るため、再度磨きをかける注文もあるようです。 |
また、誰でも予約を入れれば注文が出来るようです。同社はこれを魔鏡(まきょう)と呼んでいます。
魔鏡と呼ぶ理由は、同社の上図の説明文によりますと、
『魔鏡とは実に不思議な鏡。一見、普通の鏡面ですが、強い光を当ててその反射光を投影すると、背面に描かれた文様がうかびあがります。魔鏡は現代のようなガラス製ではなく、銅で出来た鏡。江戸時代にこの現象が発見されたようで、その不思議さから布教活動の一手段として用いられました。しかし明治時代になってガラス製の鏡が普及。銅の鏡自体が衰退するとともに魔鏡も姿を消したといわれています。』
と記されています。
「魔鏡(まきょう)は、平行光線ないし点光源からの拡散光線を反射すると、反射面のわずかな歪みにより反射光の中に濃淡があらわれ、像が浮かび上がる鏡(特に銅鏡)である。」(ウィキペディア)
とあり、魔鏡と呼ばれる理由はここにあります。
江戸時代の隠れキリシタンの中でも鏡の中にキリスト像が浮かび上がるものがあったようです。おそらく、太陽光の強い陽光が室内に入り込み、それが鏡の表に当たり、反射した光が薄暗い部屋の壁にキリスト像を映し出す。当時の人々はそれを見て恐れおののき、信仰を深めていったことでしょう。
さらに言えば、キリシタンの規制が厳しいおり、正面に光を当てなければ、キリスト像は浮かび上がらず、隠れキリシタンにとっては、神社のようなところに奉納されているものと同じように見えて、好都合だったといえます。魔鏡は、端に行くに従い緩やかなとつ面になっていることが現在の鏡と違うところです。
■ 青銅鏡(魔鏡)の製作工程のあらまし
使用材料は青銅と白銅が使用されています。青銅は白銅に比べて加工が容易で安価で普及品となります。白銅は鋳物、削り加工、みかき上げが技術的に難しく、高級品ということになります。
| ■ | 青銅鏡の製造工程 | | @ | 鏡の裏面に文様を作る | ↓ | 珪砂と粘土、山砂を配合して形成した鋳型の裏面にヘラで文様を施す。 | | A | 鋳型を焼き固める | ↓ | 出来た鋳型を焼いて乾燥させる。 | | B | 青銅や白銅などの合金を鋳型に流し込み | ↓ | 乾燥させた鋳型に青銅や白銅などの合金を流し込む。およそ、3-4ミリの厚さの鏡の原型が出来上がる。 | | C | 表面側を研磨 | ↓ | 鏡の面となる面を研磨する。原型の3-4ミリから1ミリ程度のなるまで、ひたすら研磨する。 仕上げの厚さになるほど、研磨は鏡面になるような研磨の仕方になる。およそ3ヶ月程度かかる。単に研磨とまとめだが、この工程が一番の困難で、熟練が必要とされる。 | | 完 成 | |
ちなみに、鏡の表面に強い光があたると、鏡の裏面の模様が映し出されるからくりは、鏡が縁に行くにしたがって、緩やかな「とつ面」になっていることと、模様がついたところは盛り上がっているため、黒く反射とされるためだとされています。
画像出典:山本合金製作所ホームページによりました。
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