| 他人の顔は見る事が出来るのに、自分の顔だけは見る事ができない。しかし、自分がどんな顔をしているのか見てみたい。古くから誰でも思ったであろうことは、想像に難くありません。現在にあっては鏡そのものでなくても、はっきりこそ見えないものの、夜の窓ガラスやピカピカの金属の食器類を見れば、自分の顔を見ることはそう困難ではありません。
では古代の人はどのようにして、自分を見る事が出来たのでしょうか。まず、考えられるのは、水に映った自分の姿かたちであったはずです。人はその時、随分驚き困惑しただろうと思われます。が、自分だと理解することもそう時間がかからなかったでしょう。しかし、水に映った自身の顔は、おそらくそれほどはっきり見えなかったと推測出来ます。
なぜなら水を覗き込むと、自分自身の頭が暗がりになってしまうからです。イソップ童話にも、それは現れています。咥えた肉のまま、橋の上から水を覗き込んだ時、水に映った自分の顔に吠えたために、肉を水の中に落としてしまったという話です。もし、よく見えていたら自分だと気が付いたかも知れません。
もっと、はっきり自分の顔を見てみたいう欲求は、やがて黒い石(黒曜石(こくようせき)の板状のものを磨いたり、平らな青銅を磨き上げたりして、ある程度は満たされることになりました。鏡の元となるガラスがその主役に取って変わるようになるには、まだまだ先のことだったのです。 | | 現存する金属鏡で最も古いものは、エジプトの第6王朝(紀元前2800年)の鏡があります。金属種は、銅を主体とした合金で銅鏡と呼ばれています。現在の手鏡によく似た形をしています。おそらく、当時はピカピカに磨かれてい筈です。
日本に銅鏡が伝わったのは紀元前後で、中国より持ち込まれたとされています。
日本が自分の国で鏡を作りだしたのは3〜4世紀の頃からです。最初は中国の物まねでしたが、日本人の好みに合わせるようになり、奈良時代になると鏡を作る技術も進歩して、中国(唐)製のものに負けない位になりました。
| 図は、第26王朝プサムテク一世の時代の末期王朝 B.C.620〜350年代の青銅製の手鏡(大英博物館所蔵) |
世界で最初にガラスを用いた鏡が造られるようになったのは、イタリアのベニスのガラス工によるものでした。1317年のことであったとされています。これは、ガラスに皺のない錫箔(すずはく)をおき、その上に、水銀を放置して1カ月ほどすると、水銀アマルガム( 水銀と他の錫との合金)として密着させ、残りの水銀を洗い落とすと言う手間のかかる手法でした。
1835年にドイツのフォン・リービッヒが現在の製鏡技術のもととなる、硝酸銀溶液を用いてガラス面に銀を沈着させる方法(銀鏡反応)を開発し、以来製鏡技術は品質、生産方法共に改良され続けてきました。
今日では鏡は、工場生産で大量生産もされ、光沢の保護のための塗料や金属めっきにも改良が及び、耐久性のある鏡が生産されています。しかし、ガラスの裏面を銀めっきした鏡である点は19世紀以来、なんら変っていません。
■ 日本における鏡の発展
| 日本最古の鏡とされる「三角縁銘帯四神四獣鏡 」(左の図)は、古墳時代のもので、文様は中国の 漢・三国・六朝の鏡をまねたものとされています。
中央の突起はその部分を摘(つま)んで持つためのものです。突起ではなく、逆にその部分が凹んでいるものも作られています。ちなみに言えば、左の画像の面は鏡の裏面になります。 | 表側は、ツルツルの磨かれていて、それが鏡となっていたのです。鉄をピカピカに磨くと鏡のようになって、自分の顔を見ることが出来ます。それと同じです。
中国からもたらされた唐鏡をもとに製作した鏡「和鏡」が確立でした。そして、日本流の文様の山吹や桜、萩、長尾鳥や鶴、千鳥、雀など自然の動植物が描かれるようになりました。和鏡は次のページに紹介する、「魔境」とはその製作の意図が違っていますが、工程はほぼ同じです。
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出典:上の図は、古代エジプト博物資料 日本語表記集によりました。
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